あなたが月を指差せば、愚か者はその指を見ている

日々起きたこと、見たこと、考えたこと

誕生日は6月にしたい。

……これでも若い頃はお友達の誕生日まで覚えていてプレゼントあげたりお祝いしたりしていたんですけどね。

私は結婚記念日など覚えていません。たしか3月だったとは思うけど。3月は自分の誕生日がありますがいつもこの時期は気分が晴れないんです。

だんだん母や弟の誕生日も忘れるようになってしまいました。弟はともかく母は……まあ、いいや。

そしてどうしても覚えられない日が父の命日です。そういえば昨日だった……はず。あれ、今日だったかな。いや一昨日だっけ?

 

父が亡くなってから数年間、私だけが実家の家族の中で比較的冷静で、悲しみまくる家族に寄り添うような仕草を見せることもなく、ただただ冷ややかに「後片付け」に没頭していました。そうするうちに自分の誕生日でさえ、父が亡くなったことと抱き合わせで母に語られることになり、語られなくても語られそうな雰囲気を私が察知してしまうんです。そして避ける。誕生日変えたい。6月ぐらいにしたいな。

Facebookもはじめた当初は誕生日デフォルトのまま友達には見られる設定にしていたんですけど、3年ほど経ったらなんだか怖くなって設定を変えました。怖いというのは語弊があります。必然的に父の命日もやってくる、すると母に怒られそうだということを思い出してしまうからしんどかったんです。

父が亡くなる前日に私は父と電話で話しています。身内の中で最後に話したのは私です。亡くなった日母に言われました。あれ、わざとでしょうね。きっと私に怒りをぶつけたかったんでしょうね。よりによって私が最後に話した身内だと知った母に「なんで気がつかなかったのよ!」と吐き捨てるように言われた声がいまも耳にこびりついています。

Facebookやるようになると、特に外国の知り合いから誕生日のメッセージやメールをもらうことが少しプレッシャーになっていました。3年ほどどうやらデフォルトのまま誕生日を表示していたように思うんですけど、なんか適当に「ありがと!」とだけフランス語などで書くのが失礼なのかな?と思ったりするんですよ(ケベック人がそうなのか、私の知り合いたちがそうなのかわかりませんが、ちゃんと書かれたメッセージやメールに機械的に応じるのまずいのではないかと思ってしまう何かがあるんです……)

そんなわけで、だんだん自分の誕生日がおっくうになり、父の命日はどういうわけかますます覚えられなくなり、母は意地っ張りですから母から父の命日のために連絡なんてよこすことはなく「私のほうから自発的に供養の気持ちを示すかどうか」を試すわけです。そして私はそのテストにいつも失敗する。今年も失敗しているらしい。

そしてそれをクリアしたところでやってくるお彼岸。このお彼岸もかれこれ5年間、私は無視するようになってしまいました。もはやこの時期になってしまうと「実家にずっと電話をいれていない自分が責められるんじゃないかという恐怖に耐えられなくて……」。

そのうえお彼岸の数日後にやってくるのは、もしかしたら入籍した日だったかもしれないけど、もはや本気でわからないのです。もう一度としてこの日を祝ったことはないです。父が亡くなったあと、それどころじゃなかったんだもの。習慣化するタイミングを失いました。

とにかく、今年も精神的に一番きつい3月の半分をクリアしたわけです。

そして、あらゆる記念日を覚えることがうまくできなくなっているように思います。

今年はすっかり「Π(パイ)の日」も忘れてたよ。