あなたが月を指差せば、愚か者はその指を見ている

日々起きたこと、見たこと、考えたこと

フィギュアスケートのプライド

なんでも社会文化論的に話をもっていくのは間違っているかもしれない。けれども、スルヤ・ボナリー、フロラン・アモディオ、アダム・シャオ・イム・ファが公式の試合で規定違反減点を犯してでも他の選手とは違うことをやろうとしてきたのは、フランスでマイノリティに属する彼らが、周りにどのように見られようともフィギュアスケートという競技を続けてきたプライドの一つではないかと思える。

いよいよ私は裏づけの情報収集に行き詰まるとtumblrを検索し始めてしまうのだけど、そこで見ていてもボナリーは、「選手時代、何かをやるなら世界初か世界一でないと認められないと思ってきた」というようなニュアンスのことを言っているらしい。ナンバーワンになるのだって大変なのに、そのうえオンリーワンになろうとするのはいかに難しいことか。けれども、こういう考え方は同世代の女性として当時のフランス、しかもニースで短期間であろうと過ごしたことがある身としてもとても理解できる。

ボナリーもニース出身だったし、今のアダムの拠点もニース。ニースは私が過ごしたボナリーの時代も、そして今もフランスの極右の人気が根強い地域だ。ニースに限らず地中海沿岸は極右(最近はマリーヌ・ルペンなんて極右の部類に入らないらしいけれど)が票を集めている。ごくまれに都市部で左派が互角な票を集めることはあるにしても。

ともかく、自分は何者かということに向き合った結果ではないかと。おそらく。彼のチームはそれを親身に理解した上で味方になっているのかもしれないし、単にそうしたバックグラウンドに乗じているだけなのかもしれない。だが、彼の周りがどんな意図でそれを後押ししているのかを突き止めることなどそれこそ枝葉末節で意味もない。

少なくとも単なる目立ちたがり屋とかいうことじゃない。だってこれ、思いつきで入れられるようなタイミングと跳び方じゃないもの。年単位の相当な準備をしてきた末のことだろう。それなりの覚悟を持って練習してきたはず。

その意味で、高度な技や面白いトリックを「簡単に採り入れてやってしまう」と「見られがち」なイリア・マリニンとは違う気もするけど、マリニンのやってる4Aだってラズベリー・ツイストだって「簡単に」できるようになったわけじゃない。相当な練習はしてきているはずだ。

バックフリップにしろ、相当な準備と練習をしてきたのなら、そりゃいつかは正規のものとしてその努力を「フェアに」…このフェアにという定義も人間が決める以上、非常に難しいわけだけど、せめて減点なしで認めてほしいと思うのは本人たちにしたら当然ではないだろうか。別に他の人もやれと強制しているわけじゃないのだから。

 

X (旧Twitter)も息苦しくなったので、もうtumblrばかり。でもtumblrもいつかは無くなってしまいそう。それといつからtumblrってtumblr.のドット、ピリオドがなくなったのだろう?以前はありましたよね?

 

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