今年の抱負?
老い先も長くないし、我慢することに疲れました。
自分の能力を批判される場合、大抵もっともな指摘であることが多いので、考えの違いはあったとしても「嘘にならない範囲」で擦り寄せはできます。確かにすぐさま擦り寄せができないこともありますが、その場合はとりあえず保留にして善処策を考えながら並行して次に進むのが筋だと思っていましたし、そう提案するだけのことです。
そして作り話につきあわされるのは御免蒙りたいという程度のプライドならば、確かに私も持ち合わせています。
一連の黄色いベスト運動を見ていて思ったのはフランス大統領(と首相と内閣と与党)はホント対話主義ということです。あんなふうに支持率ボロボロ、安易な誤解を受けても、故意に歪曲された末の誤解を受けても、暴力に訴えるのではなく対話で理解し合えることをまだ諦めていない。
対話は暴力の反対語…
そもそも暴力ってなんでしょう?ただの破壊行為そのものを指すのでしょうか?
破壊行為は破壊行為そのものの被害よりも、それによって受ける心理的なダメージのほうが、ある意味ずっと深刻です。心理的な効果をあげられる手段だからこそ、人というのは目に見える暴力に訴えます。ちなみに性暴力もその一つ。昨年のノーベル平和賞受賞者のムクウェゲ医師が常々言ってきたとおりです。
ですが、あからさまに見えない暴力もあります。
フランスも心理的な嫌がらせ、つまりモラハラ問題はかなり昔から指摘されているようですし、パワハラが強い社会のようにみえますが、今の日本の場合、そうした心理面での圧力が顕著なように思います。パワハラ天国といってもいい。
先日の有名フォトジャーナリストの「セクハラ(なんて軽い言葉でいうのも忌々しいとはいえ)」事件を耳にして、そしてその前に起きた有名ジャーナリストのレイプ不起訴事件もふまえてまず私が思ったのは、地位を利用した性暴力というあからさまなパワハラでさえこうやってあるのだから、単に地位を利用した傍目には見えないパワハラなんてマスコミ業界ではくさるほどあるのだろうな、ということです。その道に進みたがる人が多く、もしかしたら実力以上にコネ(今は「つながり」という角が立たない言葉に置き換えられていますが)が物を言う世界は、そういう傾向に陥りやすい。
そしてみんな言うんです。
「嫌ならこの業界やめたら?」と。
泣き寝入りを勧めるわけです。
そこまで嫌な目にあわずにすんだ人、嫌な目にあっても我慢できた人、うまく立ち回れた人は必ずと言っていいほど、そう言います。たいてい転機にバブル時代の恩恵を受けている人たちかもしれません。恩恵を受けた時期が就職時であれ、キャリアを始めた頃であれ。
今や共働きは当たり前です。私の周りを見ても、非常勤契約で働いてる人、家業を手伝っている人を除くと専業主婦はいないに等しいです。世代が若くなればなるほどそうなります。
もう2年前ですね、「逃げ恥」で「やりがい搾取」という言葉が話題になりましたが、今の日本の若い世代の人たちは、「仕事として」受ける場合の「やりがい搾取」に付き合ってる余裕はないんだと思います。ボランティアならボランティアとしてやることにやりがいを見出すのでしょうけど。実際災害が起きるとボランティアに行こうとする若い人は多いですよね。純粋な気持ちから行こうとする。むしろ仕事でやりがい搾取をする、されることを当然とみなしている世代のほうこそ、そういう純粋なボランティア精神に懐疑的ではないかと。
フランス大統領も首相も今のフランスで最も「貢献が認められにくく」「やりがい搾取」に見舞われやすい人々、つまり治安維持関係の公務員にまっ先に会いに行くあたりは、案外、自国の今どきの「格差」問題の核心がどのあたりにあるのか敏感だからこそではないかと思いました。
あと、9キロ痩せた方が異国の拘置所で年越しになること自体はあまり政府として関心を示さないあたりも。「自分に都合のいいことばかりいう嘘つき」を一番嫌っているようですし。
ともかく私もそうですが、そろそろ色々な社会モデルをとらえ直す時期に来ているのではないかと思いました。そんな2019年、平成の終わりの年…。