フランス語の仕事やってるからって、フランスに思い入れがあるとは思わないで!(1)
誰かと話しているとき、たいていの場合、私が翻訳業をやっているという話になると、まず何語かと聞かれ、フランス語だと答えますと、それだけで納得されます。「すごいですね」と言われることもありますが、現実は別にすごいものでもないです。
ともかく、当然フランスやフランス的なものが好きなんだろうなと思われるようです。フランス料理やファッション、文学、色々ですけど、私がフランス語を始めたきっかけはフランスではありませんでした。ちなみに先に挙げた三つの文化いずれも、私はいまでも興味があるわけではありません。特に食文化とファッションに関してはまったくないといっても過言ではないかも。
高校生の頃、バブリーだった1986~87年頃ですかね、英語が話せるようになりたくて、いろいろ調べました。その結果、ある協会の1年間ホームステイ交換留学プログラムに応募することにしました。当時、その協会のプログラムでは、応募者が行ってみたい国の候補をいくつか挙げることは許されていましたが、実際に派遣される国を選ぶ権利はありませんでした。英語圏に行けるとは限らなかったわけです。英語を学ぶことができなくても、そして高校を一年休学してでも、外国で暮らしたいのか、ものすごく念を押されました(私の頃は、海外との高校単位交換の制度がようやくできたばかりで、私自身はそうしたプログラムに応募し、派遣される時期が遅すぎたため、日本の高校を一年休学して留年しています)。
いまの若い人、高校生ぐらいの若い人たちは本当にえらいと思います。きっと外国に行きたいと思うくらいならば、さほど英語にはこだわらないのではないでしょうか? 私が高校生の時はサッカーもプロ化されていませんでしたし、留学の価値なんて「英語ができるようになるかならないか」という点に絞られていたように思います。南米のスペイン語圏に行ってみよう、いやここは先を見越して新興国になりそうな東南アジア諸国に行ってみようなんて考える子も、そして親もいなかったように思います。
そのプログラムは当時、試験を受けた末に、それが通ったら通ったで、派遣国が決まる前に夏に合宿までさせられて適性をチェックされました。どこぞのオーディション番組や、どこぞのリアリティショーの走りなんじゃないかと思うような状況でした。改装される前……つまり前東京五輪の頃に作られたオリンピック村のままのふっるいオリンピックセンターで。
合宿中、徹底的に外国文化というのは英語圏だけではない、とたたき込まれるわけです。OB・OGさんたちがやってきて話してくれることもありました。
南半球に派遣されることになった子たちは、早々と派遣国が決まり、合宿の数か月後である翌年1月にオーストラリアやニュージーランドに行ったわけです。もちろん、南米諸国や東南アジアに行くことになった子もいました。
で、私は派遣国がなかなか決まらなかったので、翌年の夏、1988年8月に派遣されるグループなんだろうなあとぼんやりとプログラムから連絡を待っていたわけです。高3になっちゃうから、先般導入されたばかりの単位交換がかなっても、休学でも、大学入試は1年遅れになるな…ま、それは織り込み済みだからいいや、とぼんやり思いながら。ほんとバブリーでしたね。
もう記憶も定かではないのですが、たしか年明けたころに電話がかかってきましてね「派遣国はカナダに”内定”しました」と言われました。やった!英語圏じゃん!とガッツポーズの私。
そして続けてこう言われたわけです。「ご承知のとおり、カナダには英語圏とフランス語圏が存在しますよね。どうしても英語圏でなければ辞退するというつもりはありますか?」と。
ぬぬぬ、なんだこの場合の正しい答えは……、でもここで答えないと留学そのものがボツになってしまう、と5秒ほど考えた末に私ってば「フランス語圏になっても英語園でもかまいません。外国生活をしたいからプログラムに申し込んだわけですので」。
そして高校3年生になり、5月頃でしたか、私のホームステイ先はカナダのケベック州、フランス語圏の家庭に決まったと連絡がありました。
……フランス語全然わかんないなあ、ま、でもカナダだから英語だって通じるんじゃない??? でもホストファミリーの英語の手紙にはやたらと「ケベックではフランス語を話します」って書いてあるのが気になるけど。え、「あなたはフランス語を勉強するために来るんです」って書いてないか? だって、合宿では「言語が問題ではない」って言ってたじゃん。別にフランス語やりたいから行くわけじゃないよ、私。
各国の協会によって交換留学の意味合いが違っていたようで、日本協会は「異文化を知る(だから言語は何であろうと関係ない)」というポリシーで行なわれていたようですが、どうやらカナダ協会では「外国語を学ぶ」というポリシーで生徒を募集しているらしい……それがわかったのは、ケベックに渡ってからのことでした。
私の通っていた日本の高校の当時の担任は英語の先生で、私が一年留年してケベックに行ってくると伝えると頭を抱えました。「ええええ、ケベック、ケベック?え、ケベックですか……高校三年生の夏に帰国して、英語のアドバンテージがない状態で一年遅れで受験するのは……」
言外に「そんなことして何の意味があるの、下手したら、大学入学2年後れるかも」というあこぎな計算があったというよりも、やっぱり女子なのでね、そんなにだらだら大学進学がおくれたら見てくれもわるくなると、真剣に私の将来を心配してくれたようです。
それでも私も、母も、そして当時はまだ週末には帰宅してくれていた父もそんなみみっちい話は意に介さず、父に至っては、後に私は父の事業の経営状態が実は良くなかったことを知ることになるとはいえ、快く留学費用を出してくれました(当時年間トータルで70万円ぐらいでしたかね、審査が厳しいだけのことはあって、当時の交換留学プログラムでは安いほうだったかもしれません)。
当時のケベックでのホームステイの経験は今思うとかなり面白いことだらけだったのですが、それは今後、現トルドー首相の政策やカナダについて書くときに併せて書いたほうがよさそうなので、ここでは省きます。
ただ、一つここで言及しておきたいのは、当時そのプログラムからカナダに行った同期生はたしか7人いまして、そのなかでケベック州に送り込まれたのは私を含めて2人だったということです。残りの5人は全員カナダ内定の電話がかかってきたときに「英語圏じゃないと困ります」「英語圏じゃないといやです」「英語圏じゃないと行きたくありません」というようなことを正直に伝えた結果英語圏の州に派遣され、「どっちでもいいっすよ」と答えた2人がケベック州に行くことになったようです。
これもまた、いい社会勉強になりました。
jp-keepexploring.canada.travel
かつてお世話になった交換留学協会のサイトはこちら↓
往々にして日本で留学生を受け入れるご家庭のほうが少ないようですから、空間と心に余裕がある方は検討してみたらいかがでしょうか? 見聞が広がると思いますよ。
我が家が2LDKじゃなかったら……。