あなたが月を指差せば、愚か者はその指を見ている

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北京五輪フィギュアスケート団体戦台乗り一周年記念に寄せて

私だって北京五輪フィギュアスケート団体戦のメダルまだ来ない問題についていくつかどうなんだろうって思うことはあります。

まずは

① JSF(日本スケート協会)とフィギュアスケート業界

メダルがもらえないことにかんして日本側には非はない。でも、こんな見るからに自分たちに非はないおかしな経緯に関してすら、立場上言いづらいということで何も自国選手の側に立って声明を発表しないってことは、(この先たとえば、下世話なところから言えばパワハラとかセクハラとかも含めて)色んな問題で選手がひどい目にあったとしても、JSFをはじめとしてこの業界は自分の味方になってくれるのか当てにならんというメッセージを内外に送ってるようなものだと思います。

しかもフィギュアスケートは総じて国の代表になる年齢層が他のスポーツと比べても下のほう。10代の子たちが主流と言っても過言ではない中で、JSFが選手たちの立場を親身になって考えてくれない絶望感を覚えるし、私が選手の親だったらこんな業界に子どもを任せたくない。
実際のところ、もう親がすでにこの業界の人かスケオタでもないと子どもにフィギュアスケートなんてさせなくなるんじゃないですかね? それ、このスポーツの振興としても先々暗いと思います。

次に当然、いわゆる

②スポーツの公正さ

というものをどう考えてるかってこと。

これは日本人全員に言えることかもしれない。JSFJOCはきっとISUやIOCと利害関係にもあるから強く言えないとかあるんでしょう。じゃあ既存のスポーツメディアは何をしているのでしょうか。自分が担当しているスポーツの親組織があんな頬被り決め込んでいるなら、それを追求するのがスポーツ記者の仕事ってもんじゃないの?と思うんです。
でも、いまどきの記者の人たちってそこまで意識高くはないから、新聞だって売れなくなってるんだと思います。逆なのかな? 売れなくなっているから意識がますます下がるのかもしれない。

実際フィギュアスケートの場合、ほのぼのしたニュース読んでるほうが気持ちいいですしね。

最後にこんなふうに思う人は相当な少数派かもしれませんが、一応私自身、自分の子どもが同世代ということもあるので、すごく気になってることです。なんだろう、

③選手のメンタルヘルス 

というお題になっちゃうのかなあ…。

ロシアの15歳の選手が国内試合の直前であれ、どう考えても不注意でうっかり飲んじまうなんてことありえないような特殊な薬の検査でひっかかった…。

フィギュアスケートは主要となる選手の年齢層が低いから、オリンピックに出るような選手というのは、その前のカテゴリーのジュニアで、Jr.グランプリシリーズなどの国際試合で実績を上げてきてた選手が多いです。ケガで離脱したという不運な理由でもないかぎり。つまり各国の選手たちにとって初めてできたと言っても過言ではないだろう、これから一緒に切磋琢磨してくことになる外国のお仲間さん、お友だちでもあったわけでしょ?いわゆる国際的な友情の始まりっていうのでしょうか?

今回も例に漏れず、北京五輪ではそんなお仲間さんの彼女と同世代として出場できた選手たちは結構いたんですけど、その人たちに対するメッセージとしてもどうなの?と当時思ったんです。
同世代じゃなくてちょっと上の世代でも、そのシーズン中は、おなじシニアのカテゴリーで戦ってきた選手なんですよね。

しかも、その1カ月後、ウクライナ侵攻などもありまして、日本からだとフランス・モンペリエで行なわれた世界選手権はロシアの上空も飛べなくていつも以上の時間もかかってえんやこらと移動していったわけですけど、行って見たら行ってみたで北京五輪で一緒だったお仲間さんはいないという、またこれヘヴィな現実を突きつけられたわけです(※だからロシアとベラルーシ代表を出せって言ってるわけじゃないですよ。出場させなかったのは当然だったと思ってます。私が言いたいのはそういう状況だったってこと)。
これ、単純にオレたちのライバル少しでも減ってラッキーと思える状況? いやあ、むしろ逆だと思うわよね。

まっとうな感覚の持ち主なら少なからずショックな出来事ですよ。

それこそカウンセリング好きの米国ならカウンセリングマターだったんじゃないかなあ…。なのに、選手たちは日本人選手も海外の選手もみんなそうした「なんだかな」的な気持ちを、この1年、それこそ公には「言語化する」ことを許されてなかったように思います。

あるいは、もう「彼女は悪くない、ロシアのコーチたちも悪くない、スポーツと政治は関係ない」というふうに思い込むことにして、そのコーチの元で次の五輪を目指そうという選手も他国ででてくるのも当然なのかなって。

責任とるべき人たちがとらないと、公正さっていうスポーツのみならず一般社会における基本の基本で…人間がもつべき規範意識が土台のところから崩れちゃうんじゃないかなと心配しています。

「屁理屈こねた者勝ち」「都合が悪くて面倒くさいことには見て見ないふりをする」っていうのを、親の世代の私たちが、子どもの世代にメッセージとして送ってるっつうのは、ちょっと私としてはきつい。

これはね、その子どもの周りにいる人たち、親でも先生でも記者でも誰でもいいですけど、よほど意識が高くないとまずいですよ。ええ、ミラノ・コルティナ冬季五輪に出ることになるであろう主要な選手は彼女と同世代になるから。
そんなふうな心配することじたい、私のほうが考えすぎかもしれないけど。