huluに愛を込めて その1 (2022年8月15日付おすすめ)
ここ数か月契約していたhuluを解約せざるを得なくなったのですが、なかなか私にとっては面白いコンテンツがあったので別れを惜しみつつご紹介します。冒頭の2つと「教授たち第1作」以外はこの8月15日までの1週間でダッシュで観た番組です。
- サタデー・ナイト・ライブ
- ビッグバン・セオリー
- グレタ・トゥーンベリ 世界を変えるメッセージ(全3回)
- ジャネット・ジャクソン 私の全て(全4回)
- シェルブールの雨傘
- ロシュフォールの恋人たち
- ロバと王女
- モン・パリ
- いつだってやめられる 7人の危ない教授たち
- いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち
- いつだってやめられる 闘う名誉教授たち
- キンキーブーツ
- ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命
まずhuluだからこそ観られるという意味では言うまでもなくこの2つ。
サタデー・ナイト・ライブ
現時点では2020年9月から2シーズン分。つまり大統領選挙があった2022年11月3日まで2カ月を切ったところから始まるのでアレック・ボールドウィンのトランプ、ジム・キャリーのバイデン、マーヤ・ルドルフのカマラ・ハリスもまだ観られます。その翌シーズンになると一気にネタに面白みが欠けたことを思えば、やっぱりトランプってマスコミにとってはありがたい存在だったのかも。
ビッグバン・セオリー
第1シーズンからファイナルの第12シーズンまで一気に観られるのはここだけじゃないかと思われます。
サタデーナイトライブもビッグバン・セオリーはさすがに、私の英語力だと日本語字幕なしだと理解しきれなかったのでそういう意味でもおすすめします。
さて解約まで残り1週間を切って慌てて見始めたコンテンツがこれから続きます。
huluの契約あと1週間で切れるから好きなの見といてといきなり言われても困る。なんだったら今のhuluでしか見れないんだっけ?とそこからチェックだよ。
— R.K.Matsunaga (@RieKMatsunaga) 2022年8月7日
次にほとぼりが冷めたころに観るとものすごく面白いこの人のドキュメンタリー。
グレタ・トゥーンベリ 世界を変えるメッセージ(全3回)
もうごめんなさい、Twitterに紹介を載っけた分はそのまま貼り付けます。
ともかくグレタ・トゥーンベリは2003年生まれらしい。来年の1月で20歳。正直言って、日本の同世代の人々があのムーブメントについて当時どんなふうに思っていたかは気になりますね。ちなみに彼女より3歳ほど若い私の息子は意識高い系にはついていけないと思ってたみたい。
これ全3回見て、ここのところ気が緩みがちだった節電をした。4周ほど回って私はグレタのファンよ。たいしたもんよ。今、自分の子が高校生だからか、私もこの年頃の人がどういう感じなのか多少わかる気がするようになったのかも。番組収録時で17歳、編集時で18歳、今は19歳か…https://t.co/dNuJ2XIram
— R.K.Matsunaga (@RieKMatsunaga) 2022年8月8日
それこそ色んな再生可能エネルギーの現場や炭素吸収システムの試みを見学に行ったり、氷河、永久凍土、森林の状況を教えてもらいに現地に行ったり、ポーランドの元炭鉱労働者にも会ったりして、しまいには心理学者に訴え方のアドバイスを受けたりと、企画としては結構意表をついていて面白かったわね。
— R.K.Matsunaga (@RieKMatsunaga) 2022年8月8日
ちょっと私も気が緩むと自分へのささやかな楽しみだとか言い訳して結局、その場だけで長く大事に利用しないものを買いがちなので、金曜日になるたびにグレタのプラカード見て注意喚起されるのは「私には」いいことなのかもしれないわ…。
— R.K.Matsunaga (@RieKMatsunaga) 2022年8月8日
注目されているときにあれこれ言うのはある意味簡単です。でも今はそこまででもないでしょ?それでも通常運転なのはもうね、継続は力なりだし、周りの親御さんはどうかは知らないけど、恵まれた環境に生まれた彼女自身はああ見えて全然「富」には興味ないようなのです。だからこそ、グレタは典型的な共産主義者的だと揶揄されるのかもしれませんが、そういう純粋さは若さの(彼女は「子どもの」と言いますが)特権かもしれません。そして、その純粋さを揶揄されていることも彼女は自覚していて、彼女なりに思うところを話しているところが興味深かったです。
ジャネット・ジャクソン 私の全て(全4回)
私が思うに、マイケル・ジャクソンのことを過剰に貶めたり過剰に神聖視することなく、なおかつ上から目線ではなく愛を込めて語ることができ、なおかつそれに説得力があるのは世界でこの人だけじゃないでしょうか。
hulu契約者達はこれを見るべし。ジャネットはやはり、いや、やはりじゃなく偉大だ。しかもあり得ないほど心がやさしい。たしかにジャネットがああいう形で成功しなかったら90年代以降、いわゆるセルフプロデュースできる「若手の」女性歌手こんなにでてこなかったよねえ。https://t.co/00TGqutgwQ
— R.K.Matsunaga (@RieKMatsunaga) 2022年8月9日
上記のツイートにつけ加えれることがあるとすれば、ジャネットって小さい頃から俳優業もやってたんですよね。多才だ。
あと例のエホバの証人の信仰についてはまったく触れられていないことについては、あえて今回は気にしないことにします。それでもなあ、才能ある人に限って新興宗教にかかわっているようにみえるの(彼女は2世信者なんだろうけど)、なんとかならないかなあ。本人は加害性もなければそのつもりは一切なくても、多かれ少なかれ広告塔に使われるだろうに。
さあさあ、次!
ジャック・ドゥミ&ミシェル・ルグラン&カトリーヌ・ドヌーヴが組んだ映画4作全部、今なら見放題で見れるのもいいですね。
シェルブールの雨傘
ロシュフォールの恋人たち
上記2作がミシェル・ルグランが音楽を担当したという意味でミュージカルとしてものすごく有名ですね。「ロシュフォール」はやっぱり一番バランスがとれた娯楽映画だと思いますし、「シェルブール」はセリフすべてが歌だという意味でやっぱり画期的な映画だと思いますが、たぶんこれらはアマプラなど他のストリーミングサービスでも見放題の枠で観られるかも。だけど以下の2作はそうじゃないので。
ロバと王女
王子様役のジャック・ペランは「ロシュフォール」に続いて夢見がちな王子様的なキャラです。一応こちらもミュージカル。そしてたしかルグランは自伝でこの映画の音楽こそ、自分の知識やノウハウを詰め込んでやりがいがあったとかそんなようなことを書いてませんでしたっけ?(記憶違いならごめんなさい)
『シェルブールの雨傘』『ロシュフォールの恋人たち』とあとこの2本でジャック・ドゥミ、ミシェル・ルグラン、カトリーヌ・ドヌーヴの映画を私はコンプリートしたのかしら?変わらずジャック・ペランが夢見がちでかわいいけど、それ以前にドヌーヴがぶっ飛んでてエグいよね。https://t.co/um5Ahtgb5O
— R.K.Matsunaga (@RieKMatsunaga) 2022年8月10日
以前、フランスのテレビ局が放映したカトリーヌ・ドヌーヴのドキュメンタリーを見たことがあります。そこで当時のドヌーヴが、この映画は彼女にとって「はじめて自分の子どもに見せられる映画だ」などと言っていました。そりゃシャルル・ペローの原作の映画化ですし、おとぎ話なんですが、このドヌーヴが一番ぶっ飛んでる。
あのですね、これ子どもに見せられる代物なんですか?だってあのジャン・マレーが演じる父親の国王から求婚されて、求婚されて、求婚されて「ここまで愛してくれてるんだから応じてもいいかもしれない」ってしれっと王女は言ってるんですけど、ドヌーヴが言うとその異常性に妙な説得力が出てきちゃって怖いんですよ。おそろしいですね。妖精が阻止してよかった。童話ってほんとこわい。オズの魔法使いだって裏を読めばたいがいなのかもしれませんが、なぜにフランスの童話はこんな路線になってしまうのか?面白すぎます。
ストーリーもそうですけど、ジャック・ドゥミの美学を堪能するにはよい映画だと思います。あらすじ知っていても楽しめる。
モン・パリ
原題は『人類が月面を歩いて以来の最も重大な出来事(L'Événement le plus important depuis que l'homme a marché sur la Lune)』ということで知られていますが、男性が妊娠したらどうなる?という話。今となってはその根拠づけなど色々問題あるのかもしれませんが、そんな頓狂なことが起こってもドヌーヴが演ずるキャラだとそれなりに受け入れてしまうところが、またこれ彼女らしい。とにかく当時ラブラブだったマストロヤンニもドヌーヴもとてもチャーミングだと思うんですけど、ドヌーヴ本人はこの映画の自分の出来に結構不満があったそうです。でも2000年代に近くなるとドヌーヴは結構コメディ映画やるようになって、しかもなかなか上手くて面白いですよね。そういう、ちょっとすっとぼけたセンスはこの頃からあったんじゃないかなあ。なかなかどうしてドゥミはやっぱりドヌーヴのことよく分かってたと思います。
こっちはドヌーヴがマストロヤンニに惚れちゃってたのが見てても伝わってきますね。50年前は面白い時代だったね。https://t.co/h6vw3nxUSm
— R.K.Matsunaga (@RieKMatsunaga) 2022年8月10日
なお、ルグランの音楽はほとんど印象に残っていませんが、なんでもルグランの息子さんが二人の息子役を演じたそうです。あとやっぱりなんといっても70年代らしいセットがいい。いちいちデザインがかわいい。
以上4作、ドゥミ・ルグラン・ドヌーヴ好きな人はまとめてどうぞ。
いつだってやめられる 7人の危ない教授たち
もともとはTwitterで次の映画を紹介するツイートが流れてきて拝読したのがきっかけでした。全3作。これ、当初のツイートが紹介された1カ月前はhuluのみ(U-NEXTはともかく)でしか見放題配信していなかったように記憶していますが、今はどうやらアマプラで全作観れちゃうんですよね。でも面白かったから紹介。
早速観ました。全編通して風刺が利いて面白いですが最後の約30分の怒涛の展開が格別。都会のイタリア人らしく早口で台詞が多いおかげなのか、近年の英語圏映画のように2時間半近くかけて余計なディテールに凝らずに済むところが良いです。約100分におさめて構成は見事に映画の王道を行っててすごい! https://t.co/JdibEJ9WlH
いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち
いつだってやめられる 闘う名誉教授たち
ちなみに「7人の危ない教授たち」はそれだけで一度完結していますが「10人の怒れる教授たち」と「10人の闘う名誉教授たち」は合わせてひとつの話になっている、つまり前編・後編の構想になっているので2作とも見ないとわかりません。
⬆️の第1作の続編にあたる2つの作品も面白かったです。運命の分岐点になるシーンでみんな「いまさら自分には帰るところがないし(=失うものがないし)」と言うあたりが彼らの置かれてる状況のシビアさを物語ってて。https://t.co/sbH8utgaWL
— R.K.Matsunaga (@RieKMatsunaga) 2022年8月11日
でも、そんな超優秀な研究者たちが深刻に恵まれない環境におかれていても、地下鉄の駅で登場人物の一人が学生さんと話すシーンが象徴するものが結局この映画のすべてなのだと思います。全3作よくまとめて実は心温まるシリーズになってました。https://t.co/h8Amb22i7S
— R.K.Matsunaga (@RieKMatsunaga) 2022年8月11日
日本人の大学の研究者たちの多くがTwitterでぼやいていると思うんですけど、イタリアも(そして聞くところによればフランスも)全然大学に予算をかけてもらえなくてポスドクの人たちは大変なようです。日本どころじゃないかもしれません。レベルの高い伝統的な国立大学だと逆に授業料が安いから、というのもあるのかもしれません。とくにイタリアの財政はEUのなかでは赤字が多いから(なんていっても日本よりもはるかに少ないんですけど)、国立大の予算はきっと厳しいですよね。
でもそんな大変な状態に若手の研究者たちはおかれているいうのに、3部作のラストには少し心を動かされました。日本の研究者って「今は論文の数が少ない、日本は衰退している」などと危険視するようなことを言い、それは金をかけないせいだと断定します。そのとおりでしょう。あと、私が強いて言うならば、日本は総人口に対する労働人口率がイタリアよりも、というかおそらく世界一低い。若い世代がいなければなかなか優秀な人材もそろわない。
ですが、そもそも学生に対する先達たちの態度はどうなんでしょうね…未熟だけど潜在的には若いだけに自分よりも将来性があるであろう学生に対して真摯に接してるのかしら。どんなに愚かに見えようと学問を志す若い人たちに希望をもつ、優しく見守る姿勢がないんじゃ衰退するのも当たり前じゃん?と思うのは精神論が過ぎるかしら。アカハラとかセクハラとかそんな話ばかり聞こえてくるの、なんなんですか?まだそれこそ「唯野教授」の感覚のままで足を引っ張りあいっこするような男ばかりの世界だというなら、そりゃそうなるってものでしょうよ。
キンキーブーツ
ブロードウェイミュージカルがオリジナルだと思っていたんですけど、違うんですね。ミュージカル版ではシンディ・ローパーが音楽を作っているというので米国の話だと思っていたら英国の、いっときの英国映画によくあった私の大好きなプロット。衰退しつつある地方都市での生活をさあどうする!と知恵をしぼって、それでもみんな自分に賛成してくれなくて仲間割れしたりするんだけど、最後には力を合わせて上手くいこうといかまいとハッピーエンドっていうあのパターン(これはおそらく成功例のほうだけど)。
ですので、ミュージカルの原作にあたる映画なので当然音楽はシンディ・ローパーではありませんけど、それでもよくまとまった映画。なんだか私もいわゆる進次郎構文になってるかもしれませんが、この映画がよかったからミュージカル化されたわけです。
ブロードウェーミュージカル化される前のオリジナル映画。私は英国の地方のたとえば炭鉱の町が舞台になるような団結ものの映画が好きだったので、こういう町を救え的なプロットには弱い。しかもこういう、映画の定石というのかな、基本に忠実な展開の映画は好きだ。https://t.co/R4QuBvKYJv
— R.K.Matsunaga (@RieKMatsunaga) 2022年8月11日
ミュージカル版がどんなのか私は知らないけど、少なくとも映画版は、ローラの話し方やしぐさがいわゆるオネエ的な誇張にはなってなくて、異性装の人たちのリアリティを私は感じたんだけど、いまだとノンバイナリーも含めて登場人物の性自認をもっと明確にしなきゃいけないとかあるのかしらね。
— R.K.Matsunaga (@RieKMatsunaga) 2022年8月11日
この映画15年以上前の制作だからかもしれないけど、今言われる「心は女性」の登場人物が腕相撲(舞台版はボクシング?)でコテコテの男と「自分を主張するために」対決するところが面白いなあと。しかも最後で力抜いて勝ちを譲った理由も。心は女だから女のカテゴリーでスポーツするのと逆なのがね。 https://t.co/dN0tnM5RTY
— R.K.Matsunaga (@RieKMatsunaga) 2022年8月13日
Twitterにも書きましたが、キウェテル・イジョフォーのローラは声がキャンキャンうるさくないのがいい(ミュージカル版も別にうるさくないのかもしれませんが)。そこにリアリティを感じました。あと腕相撲で勝ちを譲った理由に泣けた。そういうところ、いまの人々に欠けているところだと思います。
ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命
ナタリー・ポートマンも妻・母親役が板につくようになったんだ…と、ついこの間まで子役だったのに、と思えば遠くにきたもんだ、となんだか感動してしまいました。
ジャクリーヌ・ケネディは今でいう「勝ち組スペック」女性の先駆者みたいなところがあります。生活感がまるでない主婦役だもの、ジャッキー役をナタリー以外に誰がやるのっていう気もしました。
日本も国葬問題がありますが、久しく前例がなかった現職大統領の暗殺されてできるだけ早く葬式を出さなきゃいけなくなったときに、さて、ファーストレディとしてはどういう葬儀にしようとしたか⁈という物語。表向きの言い分と内心の葛藤。https://t.co/zPdHy7Ww2N
— R.K.Matsunaga (@RieKMatsunaga) 2022年8月13日
そこまで金をかけるほどの実績を残したのか?と思われようとも、自分のすぐ横で頭吹き飛ばされたから死んだのにセキュリティどうすんのよと思われようとも「自分達は歴史の一部であり、後世に『現職大統領が理不尽に殺された』記憶を残さねばならぬ」とリンカーンの葬儀を参考にした話。
— R.K.Matsunaga (@RieKMatsunaga) 2022年8月13日
でもそれは表向きのプライドであって内心はまた別でもあるけど「ケネディ家なんてただの金持ちでしかなく王族のように歴史はないんだから、歴史を作るのならこれから」「ホワイトハウスも国民を代表する家として米国の歴史を後世に残す役割を果たすべき(改装が有名)」という点で一貫して興味深い。
— R.K.Matsunaga (@RieKMatsunaga) 2022年8月13日
とにかく国葬問題でゆれる日本の今、これ見るべき映画なのではないでしょうか。
日本の場合大統領制じゃなく首相だし、首相は国家元首でもないから、フランスや米国のように本人や遺族が辞退しないかぎり原則国葬ってことにはならないのはわかります。
英国も首相は基本国葬の対象じゃない。でも首相に限らず国に多大な貢献をしたとみなされた人も国葬の対象になるらしい。戦後となるとそれでもチャーチルとサッチャーのみ。じゃあ吉田茂元首相と安倍元首相がチャーチルやサッチャー並みの政治手腕と知恵を人徳を兼ね備えていたのかとなると…微妙だ。はっきり申し上げて、私は正直とてもそうは思えません。ですが、歴代首相と比較するとそれでも安倍元首相がトップクラスの位置づけになってしまうのはわからないでもない。
費用面では、そりゃ外国から正式にお客さん呼ぶことになるからその分が普段より大幅に割り増しになるわけですよね*1。ミャンマーの首脳陣まで招待しまくったらしいし。プーチンは「行かない」ともう言ってるみたいですけど。派手に国葬外交したいんですかね。
で、私は思ったんですけど、結局、自民党としては「わが国はこんなに偉大な国なんだ!」というイベントに飢えてるのではないかと。派手に国葬やれば国も盛り上がるんじゃないかと思ってるのかしら。国威発揚。今にして思うと意外と即位の礼も地味でしたし(今の天皇皇后は出たがりでもないし)、上皇はもはや元首ではないから(厳密には天皇すら元首なのかもわからないけど)、今後お隠れになったときにこれまた昭和天皇のときのように大がかりにお葬式やるようにも思えない。しかも渾身の東京オリンピック・パラリンピックも外国のお偉方さんをあまり呼べなかった。派手にパーティーやって「日本ってすごい」と自慢することができなかった。
そういった大国日本が世界にその威光を発信する大規模イベントがない!って自民党なのか日本会議だか知りませんけどね、危機感を覚えているんじゃないかしら。
でも皇族が曲がりなりにも節約志向なのに、大掛かりに安倍元首相の国葬やったら意味なくないか?と思うわけです。天皇制そのものの反対の私でさえそう思うんですけど、その辺のところ右翼の人たちどうとらえてるのでしょう?
ただし安倍首相の場合は、とりわけ色んな国のいろんなトップに会いに行っていた人だから、国葬にしますと言えば、それなら行きますという外国のお客さんは結構いそうですよね。ゼレンスキー夫人とか来るのかな。
話はそれましたが、肝心の映画では、ジャッキーがケネディ家の人々が代々埋葬されているボストンのどこそこじゃだめだと言って、アーリントン墓地に夫にふさわしい場所を探しに行くシーン「も」あります。それどころか、追って自分の早産した子供と生後すぐ亡くした子供も同じ場所にお墓を移しましたし、後にジャッキー自身も同じところに埋葬されることになります。実際1999年の春に私はアーリントン墓地見学に行ったことがありますが、ケネディ家の墓*2と「永遠の炎」って一番の名所になってますよね。
そういう意味では映画でのジャッキーが願ったとおり、ケネディ大統領は米国の歴史の一部となり、しかも後世に残る伝説となったのです。
で、それこそ20世紀社会において参考になるような前例がなかったケネディ大統領の国葬は4日間で準備したわけですよ。根性でね。アメリカ人ってすごいですよね。そして、安倍元首相の国葬も同じく前例がないような規模でやりたいんでしょうけど、普段からそれなりのシミュレーションしていて、儀式慣れして、型が決まっている皇族の葬儀を仕切る宮内庁(や担当の外務省関係者)ならともかく、結局内閣府のスタッフじゃとり仕切る能力もスタッフも存在しない可能性が大なので、結局、あの広告代理店とあの派遣会社と旧統一教会および新興宗教系のボランティア頼みになるんでしょうか。
まだあと5本ぐらい映画あるんですけど、ここまで書くのにもう10日以上かかっているので、そのうち「その2」をアップします。